神仏習合の面影
境内を囲む石垣塀は珍しく、明治維新までの神仏習合の面影を色濃く残しています。
石垣の西角に刻まれているのは、明治初期にイギリス式の高低測量を行うために設けられた几号水準点です。石垣、門、鳥居など恒久的に残るであろうと思われる物に直接刻まれました。明治中期にドイツ式に移行したため、几号水準点は産業遺物となりましたが、全国でも現存する所が少ない貴重なものです。
当地方で最古の御神木 欅
(樹齢450年~550年)
陽光の恵みをたっぷり受けて育った御神木の葉も秋には茶一色になり、一葉も残らず枝だけの姿になります。それでもまた春には芽吹き、おかえり祭りの近づく頃には新緑の息吹を感じ、初夏のまばゆい木漏れ日には毎年清々しさを感じ、自然の恵みに感謝します。当地方で最古といわれる御神木の幹のくぼみは天保五年の火災によるもので、波乱を乗り越え450年以上経った今も生き続ける生命力の強さには畏敬の念を感じます。
節目を尊び長寿に感謝し、更なる長寿息災を祈念し、お祝いしましょう。
● 月 次 祭 ●
おついたちまいり
毎月一日はいつもより早く起き
無事に過ぎた1ヶ月に感謝し
新しい月の無事を大神様に
お祈りしませんか
早朝の神域は清々しく
この古き良き参拝風習は
心を落ち着かせます
一日(3月~12月)6時より
石蕗(ツワブキ)
11月になると御神木の根本や境内のあちこちでツワブキの黄色い花が目立ちます。ツワブキの葉には解毒作用があり乳腺炎にも効能があります。摘みにおいでた方の昔の知恵を拝借しました。神域の毒除けの植物です。
日本の花言葉=困難に負けない 謙虚
縁起
創建は天保・安政の火災によって古記録が消失したため定かではありませんが、寿永年間(1182~1184)と言われています。美川町はその昔『藤塚の里』と称し社名の由縁となっています。『山王権現』にはじまり『藤塚山王』明治元年『本吉日吉神社 』同年『藤塚日吉社』明治七年『藤塚神社』に改称され、前田斉泰公御染筆の扁額を賜りました。明治十二年には県社に列せられました
御祭神 御神徳
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【本 殿】
大山咋神 大己貴神 天照大神
オオヤマグイノカミ オオナムチノカミ アマテラスオオカミ
【琴平神社】
大物主神 事代主神 菅原道真公
オオモノヌシノカミ コトシロヌシノカミ スガワラノミチザネコウ
【素戔嗚社】
素戔嗚尊
スサノオノミコト
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主祭神の大山昨神は、
平安京遷都の際に都の表鬼門にあたり都を守護していた国家鎮護の社 日吉大社より御分霊を勧請。御神名の『クイ』というのは、大きな山にクイを打つ山の主であり、山の樹木やその麓の田畑の五穀、万物の成長をグイグイ伸ばし育ててくださる御神徳をさしたものです。
また神道において神社には神に先駆けて出現し、神意を知る兆しとされる神使(かみづかい)と呼ばれる動物がいます。
山王 大山昨神の神使は猿
神猿と書いてまさると言います。まさるは魔が去る、または万事に勝るの意であり、古来より魔除け、厄除け、鬼門除け、守護の神としても崇敬されています。
ま さ る 魔が去る 万事に勝る
困難を乗りこえ、勝負に勝つ
本殿神前の両脇には穏やかな御顔の
まさるが守護しています
握り拳には
何があるんでしよう???
本殿薄暗い縁の下を覗くと…
こんな所にも!!…
険しい御顔の神猿が四方で
本殿を囲んでいます
暗闇の中では
やさしい御顔というわけには
いかないようです…
おかえり祭り 5月第3土日
現在の形が整って来たのは文化文政年間(1804~1830)と言われ、紋付き袴に白襷姿の正装で行う祭りは全国でも珍しく、安政4年(1857)京都仁和寺『御室御所』より、神輿の菊花紋 章入り 日覆、守護の鉄棒、正一位日吉神社の社頭額が下賜されたことに敬意を表したものと言われています。
おかえり祭りは石川県無形民俗文化財に指定され、天保7年回船業紺屋三郎兵衛(竹多氏)より寄進された大神輿は、白山市文化財に指定されています。また令和2年6月19日には、日本遺産 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」の構成文化財に認定されました。
八面四扉の御神輿は四方八方
すべての方角に
御神威高まりますようにと
町中を厄祓いして巡る
おかえり祭りは
諸々の禍事罪穢れを祓い清める
厄除けのお祭りです
白山市神社 白山市御祈祷 白山市厄除け神社 白山市安産祈願 白かえり